歓びに満ちた人生を♪ ヒーリングルーム中今の秋野真理子です*^^* スピリチュアルセッションの提供を通じ、真に「自分らしく生きる」お手伝いをしています。
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こんにちは^^ 神さまとあなたのご縁をサポートする中今は…
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なのですが、その前に「ご応募を受け付けました~」のメールをお送りしています。
1月5日にお申込いただいた方には、本日みなさんに受付メールをお送りいたしました。
万一、「1月5日に申し込んだけれどまだ返信がない」という方は、お手数ですが中今までご連絡くださいませ。メールエラートラブルなどが考えられますので再送などの対応をいたします。
あと、中今がまぐまぐに代理登録する形をとっておりませんm(__)m
12月まで届いていた方も、自動的にまぐまぐに変わるのではなく、ご自身でご登録いただくお手間をお願いすることになります、どうぞよろしくお願いいたしますm(__)m
また、登録の途中でエラーが出ることがあるとも聞いております。
お困りの方には直接配信もできますので、こちらもお手数をおかけしますがどうぞご連絡くださいませ。
と、メルマガの話しが長くなりましたが^^
ここから、記事タイトルの「気づきや学びに苦しみや悲しみは必要ない」についてです。
スピリチュアルな考え方としてよく言われることに、
「起ることすべてに意味がある」
「悪いことにも意味がある、そこから気づき学ぶことができる」
といった意味のことがあります。
これは確かにそうなんですけれども、じゃあ、逆はどうでしょうか?
逆というのは、つまり、
「意味があってすべてのことが起っているのか?(すべての出来事は避けられないのか?)」
「気づき学ぶために悪いことが起っているの?(悪いことがないと気づき学べないのか?)」
ということを今回は想定しているのですが、これはですね、ズバリ!違います^m^
もう少し詳しく観てみますね。
「意味があってすべてのことが起っているのか?」
(すべての出来事は避けられないのか?)
よく「生まれる前から決めてきていた」「自分で計画していた」などと言われることがありますが、人生に起るすべてのことが予め決められているわけではありません。もしそうであればワザワザ生まれてくる意味がありません。
実際には、生まれる前から決められている大きな出来事もあれば、生まれてからの自由意志による選択の積み重ねによって起る出来事もあります。「生まれてからの自由意志の選択の積み重ねによって起る出来事」とは、単純な例でいうと「不摂生な生活を積み重ねて病気になる」といった意味です。(生まれる前から決めていた病気の場合もないわけではありませんが確率としては低く、本人の過ごし方によっては病気にならない道もあった場合のほうが多いです。)
選択の積み重ねによって起る出来事も、自分の魂レベルではある程度事前に承知済みですので、その意味では「自分で計画していた」と言えないこともないのですけれど、時々、このことを表面的に捉えて言い訳にしてしまっている方を見かけます。「決っていたから」「計画していたから」といって、なぜそうなったのかを観ようとしないのです。でも、それは、違っています。
正確に表現すると、
「起ってしまうと、そのことは意味を持つようになる。
けれど、起らないですませることもできた。」
のです。
もちろん、後になって「あのときこうしていれば…」と後悔するのは意味がないことです。
あのときの自分にはそうすることしかできなかったのですから。
でも、だからこそ、「今ここ」で自分がどう選択するかが重要なのです。
今この一瞬、AかBかを選ぶ。
これまではいつもAを選んで同じ結果になる自分だった。
でも、今ここで、自分はBを選ぶことをする、これまでとは違う選択をする-
-その瞬間のダイナミズムを生きることが、人生を創ります。
そうした選択は、生まれる前から決っていることでもなく、自分で計画していたことでもありません。
決っていることや計画していることがあったとしても、それはあくまで、舞台背景や状況。
「今この瞬間に自分が何を選択するか」-このことは自分自身に委ねられています。
このことを観ずに「意味があってすべてのことが起っている」と言ってしまうことには、表面的で逃避的になってしまう危険性があります。
「気づき学ぶために悪いことが起っているの?」
(悪いことがないと気づき学べないのか?)
いや~、違いますよ~^^;
確かに、生まれる前から決められていた気づきを促すための出来事がいわゆる悪いことのように見えることも、ないことではありません。が、そうでなく、ただ生まれてからの自由意志による選択の積み重ねによって起ることのほうが格段に多いです。
悪いことが起こっても、解決策はあるものですし、悪いことから気づき学ぶこともできます。
気づき学ぶことで、悪いことが自然と解決していくことも多いものです。
ですが、そもそも、悪いことが起る前に気づいて学べば、悪いことは起らないわけです。
先に挙げた、不摂生を積み重ねて病気になる例ですと、病気になる前に不摂生をやめれば病気にならなかったわけです。
とても単純な仕組みです。
子どもが悪さをしているとしますよね。最初はやんわり注意します。「おかしいんじゃないの」「やめておいたら」などなど。でも聞かずに続けるともうちょっとビシッと言います。「ダメでしょう」「やめなさい」などなど。それでも続けるとなると「コラーーーーッ!」ってなりますよね。
それと同じことです。
怒られないと(=悪いことが起らないと)気づいたり学んだりできないのでしょうか?
時にはそうなってしまうこともあるかもしれませんけれど…
コラーッ!っと怒られる前に、やんわり、あるいは、ピシッと注意されている時点で気づき学ぶこともできますし、言われる前に自分で観て気づき学ぶこともできるわけですよね。
ですので、正確に表現すると、
「悪いことが起ったらならば、そこには気づきや学びがある。
けれど、起らないうちに気づいて学ぶこともできる。」
ということになります。
ですから、
起ることにただ仕方がないと甘んじる必要はないし、
成長するには悪いことに悩んだり悲しんだりするのも仕方ないなどと覚悟する必要もないわけです。
ただ、明るい方を観て、そっちに行くぞ~!と決めれば、それだけでいいことなんです。
気づきや学びに苦しみや悲しみは必要ないのですから。
これは、これまで悩んだり苦しんだりしたことが無意味だという意味ではありません。
そうした経験によって得られる宝物もあります。例えば、人としての深みができたり、他者への思いやりが得られたり、といったこともあるかもしれません。
けれど、いつもいつも修行をしたり、イバラの道を歩いたり、する必要はないのです。
もし、ついそう思ってしまうとすれば-苦しみの先にしか得られないものがあるように思ってしまうとすれば、苦しまなければ進めないように思ってしまうとすれば-それは過去生での経験や人類の集合意識などからの影響かもしれません。
でも、本当は、苦しみは必要ないんです。
ただ、光のほうを観ればいいだけなんです。
アセンションということも言われる新しい時代になり、光が増し、ますます光のほうを見て、喜びのなかで気づいたり学んだりすることがしやすくなっています。これまで以上にサポートも得やすくなっています。
ですので、「本当はこうしたい、でも…だって…」と思ったとき、ただ単純に、「でも…だって…」を手放せばいいのです。
「でも…だって…」の中身を解決するために頭を使ってウンウン唸ったり悪戦苦闘して修行したり苦しんだりするのは、もう終りにして。
ただ「でも…だって…」を手放して。
ただ「こうしたいから」気持ちを尊重して、「じゃあ、どうすればいいかな?」と意識するだけでいいのです。
そのことが、喜びながら気づき学ぶ人生を開いてくれます。
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実際には、生まれる前から決められている大きな出来事もあれば、生まれてからの自由意志による選択の積み重ねによって起る出来事もあります。「生まれてからの自由意志の選択の積み重ねによって起る出来事」とは、単純な例でいうと「不摂生な生活を積み重ねて病気になる」といった意味です。(生まれる前から決めていた病気の場合もないわけではありませんが確率としては低く、本人の過ごし方によっては病気にならない道もあった場合のほうが多いです。)
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正確に表現すると、
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けれど、起らないですませることもできた。」
のです。
もちろん、後になって「あのときこうしていれば…」と後悔するのは意味がないことです。
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これまではいつもAを選んで同じ結果になる自分だった。
でも、今ここで、自分はBを選ぶことをする、これまでとは違う選択をする-
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そうした選択は、生まれる前から決っていることでもなく、自分で計画していたことでもありません。
決っていることや計画していることがあったとしても、それはあくまで、舞台背景や状況。
「今この瞬間に自分が何を選択するか」-このことは自分自身に委ねられています。
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「気づき学ぶために悪いことが起っているの?」
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いや~、違いますよ~^^;
確かに、生まれる前から決められていた気づきを促すための出来事がいわゆる悪いことのように見えることも、ないことではありません。が、そうでなく、ただ生まれてからの自由意志による選択の積み重ねによって起ることのほうが格段に多いです。
悪いことが起こっても、解決策はあるものですし、悪いことから気づき学ぶこともできます。
気づき学ぶことで、悪いことが自然と解決していくことも多いものです。
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