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誰かを救うことはできない - 過激な言葉でしょうか^^;
もちろん、ごく一般的な意味では救うことはできます。困っている人を助ける(手伝う)ことはできます。
物理的にも、精神的にも、助けることはできるものですし、助けられた側の人が「救われた…!」と感じることもあるでしょう。
でも、悩み苦しんでいるあの人を救ってあげたい、という気持ちには危険が潜んでいることがあります。
あの人が悩み苦しんでいることへの答えはこうなのに… こういうことに気づけば楽になるのに… どうにかしてそれを知らせて分からせてあげたい…
でも、どんなに素晴らしい智恵も、本人に受け取る準備ができていなければ、気づきにいたりません。
本人が、変わりたい、気づきたいという気持ちがあってはじめて、気づける可能性が出てきます。
本人が、周りが悪い、世界が悪いと思っている間は、受け取り気づくことは難しいです。
一度伝えるのは悪いことではありませんが、何度も説得することは意味がないことがほとんどです。
求めていない人に受け取ってもらうことはとても難しいです。
よく、自分を変えることはできるけれど人を変えることはできない、と言われることと同じように、自分を救うことはできるけれど人を救うことはできないのです。
状況が見えて分かっているのに何もできないのは辛いものです。
でも、その辛い気持ちを自分のものとして受け止め味わうことも一つの愛の形なのです。
やみくもに相手に働きかけることが愛とは限りません。
今はできることがないけれど、悩み苦しんでいるあの人の奥底の生きる力を魂の輝きを信じ祈ろう。
そうした愛の表現もあるのです。
誰かの力になりたいのであれば、自分自身が冷静で落ち着いていることが大切です。
辛く感じたり切なく感じたりすることが悪いわけではありません。
ただし、辛さや切なさに振り回されるではなく、ありのままに受け止めて味わうこと、そして冷静で落ち着いた部分も持っていることが大切です。それは「冷たい」ということとはまったく別のことです。
誰かの力になりたいのであれば、自分自身が歩むことが大切です。
例えば、言葉で言っても伝わらないことを、自分自身が体現することで伝えられることもあります。
縁のある人の成長し変化した姿は、周りの人に大きな影響を与えるものです。
それでも、どうしても救いたい…!
それが魂の深い叫びだとしても、今は時機を待つことが相応しいこともあります。
どうしてもという強い気持ちが、実は自分自身の依存や執着の場合もあります。
昔、自分が変わっていく過程で友人知人と話しが合わなくなっていったことがありました。
これはごく単純な例えですが、これまで問題を周りのせいするような愚痴を言い合っていた二人のうち片方が「どうも問題の原因はいつも自分にあるもののようだ…」と思い始めると、話しがあわなくなります。片方が愚痴を言わなくなるし聞きたくもなくなるということもありますし、同じ出来事への見方(解釈)が違ってきます。
そのような感じで、話しが合わなくなっていくということがありました。
そして、愚痴や悩みを語る友人に今から思えば押し付けに近いアドバイスを何回もしたり、時には「この本を読んだらいいよ、こういう考え方をすると悩みが解決すると思うよ」と渡したり、していたこともあります。それらの全部が全部を間違っていたとは思いませんが、今振り返るとやりすぎていたなぁ…と思うことがほとんどです。
当時は相手のためを思ってしているつもりでした。
でも、だんだんと気づいてきたのです。
自分のためにしている面も大きいんだ、と。
自分が寂しいから、友人とまた話しが合うようになって自分を分かってほしいから、しているんだと。寂しい・分かってほしいという気持ち自体は悪くないかもしれないけれど、それを相手のためとは言えない、自分のためなんだと。
そして、相手を尊重することが大事なのだと気づいたのです。
あの人の力になりたいけれど、何もできることがない…
そうした気持ちに向き合うことからも愛を学ぶことができるのではないかなと思います。
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突然ですけれど、女性とは、本質的に華やかな存在なのだということを、ご存知ですか?^^
女性はみな誰もが華やかな存在☆
女優さんや特に美形の方々や特にゴージャスな身なりをした方々などに限ったことではありませんヨ!
そう実感する経験をしたことがあります。
もう何年も前にパソコンのインストラクターをしていた時のことです。
講座の受け付けをしていると、なぜだかその日は年配の男性ばかりが次々といらっしゃり、部屋の中がおじさんやおじいさんで埋められていきました。10名以上いらっしゃったでしょうか。
その様子に、ふと、「…なんだか今日はむさい。。。」と思ってしまったのです(汗)
いえ、決して、年配の男性が嫌いだとか来ないでほしいとか思ったわけではありませんm(__)m
ただ、なんだかこう、くすんでいるというかなんというか …あれ?と思ったのです。
と、そこに、女性が1名、いらっしゃいました。
その方がいらしたとき、なんだかホッとして嬉しくなりました。
部屋の空気が柔らかく華やかになって、まるでむささが中和されたかのように感じたからです。
当時の私はスピリチュアルなことはほとんど知らず、エネルギーを感じることがどういうことかも分かりませんでしたが、それでも女性が1名いらっしゃることで空気感が変わることはハッキリと感じられたのです。
当時は「女性が1名いるとこんなにも違うものなんだなぁ~!」と思いました。
今振り返ると「女性性の一つの現れ(形)を見せてもらったんだなぁ~!」と思います。
さて、この女性はどんな方だったのでしょうか?
ピチピチ(笑)と若かったわけではありません。おそらく60歳代の方だったかなと思います。
ゴージャスな服装をされていたわけではありません。でも女性らしい服装でした。
シワなどなく丁寧に扱われている着心地の良さそうな、控えめだけれど優しい色合いの、上品で女性らしい服装でした。
ご本人の存在感は、派手さなど目立つ感じではなく自然な感じ、特別美人だったという印象は残っていませんがごく自然に女性らしくて、それで充分だし、それが充分、と表現すれば…伝わりますでしょうか。
それで「女性って本質的に華やかな存在なんだ…!」と分かったのです。
私もそうですけれど、多くの女性は自分の容姿にあまり自信がないと思います。
もちろん個人差はあるでしょうけれども、スタイルの良い美人の方が「私なんて…」と本気で思っていることも決して少なくありません。
でも、女性性の本質は、年齢や容姿とは関係ないのです。
女性であるということは、ただそれだけで、素晴らしいことですし、華やかなのです。
とはいえ、「それじゃあ~歳も関係ないし、見た目もどうでもいいっていうことだよね~」と開き直るのは違っています(笑)開き直ってはいけません(笑)
自惚れるでもなく、卑下するでもなく、開き直るでもなく、
ただ、自分が女性であることを大切にして楽しむこと、なのかな~と思います。
例えば、オシャレを楽しんだり、体に心地よいことをしたり、色や香りなど感覚的なことを楽しんだり、などなど…。
自分が女性であることをどう思ったり扱ったりすればいいのか分からない方って、結構いらっしゃるような気がします。
女性は歴史の中で長い間低い地位や不便な立ち位置にいましたので、また、それでいていわゆる「女」という意味合いもあり、社会の全体的な意識としても個人の生い立ちの中でも、女性であるということには複雑な意味合いがついてまわる面があるように思います。
でも、それはあくまで歴史や社会の付属的な面であり、本来の女性性は素晴らしいものなのです。
(もちろん男性性も素晴らしいです^^)
まぁ~、今回の記事には普段以上に自分自身も身につまされておりますが(つい開き直りそうになるトコロがあるため^^;)、春も来たことですし、女性らしいことを自分らしく楽しんでいきたいと思っております^^
これをご覧の女性の方々も、ご自身が華やかな存在であることを知って、楽しんでくださいネ♪
躊躇や逡巡や葛藤は手放して、ただ単純にシンプルに、楽しんでまいりましょう~^0^
男性の方も、身近な女性の女性性や、またご自身の中の女性性※を、大切になさってくださいネ♪^^
※女性の中にも男性の中にも、女性性と男性性の両方があります。
その割合は個人差もありますが、女性は女性性が男性は男性性が優位であることが多いです。
最終的には一人の中で女性性・男性性がバランスされることが望ましいとも言われますが、
そのためには女性性も男性性もともに大切にできていることが大切です。
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今回は自分自身の反省と感謝のきもちも込め「モノを大切にする」ことについて書いてみます。
キッカケは車のタイヤのパンクです。
や~、けっこう長い運転歴でございますが、タイヤのパンクは初めて経験しました@o@
「なんでパンクしたのかな~?」と振り返ってみたところ(何を踏んだのかとかそういう意味ではなく^^;)、厄落とし的な面もあるかもしれないのですが、車を大切にできていなかったことも大きいのでは…と思い当たりました。
自分の車はもちろん好きですし、感謝のきもちもあるのですが…
扱いがゾンザイになってしまっていたところがありました>_<
洗わなくちゃな~と思いながら、一日一日先延ばしにして実際にはなかなか洗わなかったり…
急いで使わないモノを、ついつい車に置きっぱなしにしてしまったり…
ゴミを捨てるのを後回しにしてしまったり…
中の拭き掃除や掃除機がけもあまりしなかったり…
ちょっとしたキズをそのままにしてあったり…
う~む、我ながら恥ずかしいことを書いています(汗)
そして、さらに白状しますm(__)m
車と話しをすることがありまして…
(いつもそうしているわけではないですけれど、意識を向けると話しができるのです。)
「洗って」「うん、分かった、今日は難しいけど、近いうちに」と会話することもあるのですが、「近いうちに」とその時は本当にそう思いつつ言っておきながら、実際にはなかなか洗わないのです。
また、「ゴミ、捨ててよ。(要らないものを車の中に置かないでよ、いつもスッキリしておいてよ、といったニュアンス)」「うん、わかってるよ~」と会話しながら、実際にはなかなか捨てなかったり。
そんなつもりはないながらも客観的・結果的には私は「ハイハイ」みたいな返事をしてしまっていて、そしてすぐに忘れ、ふと思い出したときに「ゴ、ゴメン…」と謝るのです。
謝ったときの車さんの反応は「…」です。私の謝罪を無言で受け取ってくれながらも、(まったくいつもねぇ…)(そう思うなら実際にそうしてよね~)といった感じで淡々としているような感じです(爆)
時々、あぁ~、車があるって本当にありがたい!この車がいてくれてよかった!と思う特別な出来事があって「ありがとう~!ホントに、いつもありがとう~!」と伝えることがあるのですが、車さんは「…」「…うん」くらいの反応です。私のお礼を受け取ってくれながらも、(そうは思っているんだろうし、それは受け取るけど、まだまだ本当にはわかってない、ない)(本当に分かっていたらこんな扱いはできないものだよ)といったニュアンスが伝わってきます。
神さまと話すときに、神社に参拝したときに、大自然に触れたときに、その輝きに心を向けて感激するのですけれど…
自分の生活を成り立たせてくれているモノに充分に心を向け、心通わせることを、ゾンザイにしてしまってたんだと、車に限らずこれは私の反省点なんだと、気づきました。
車に限らず、パソコンにも、服にも、タオルにも、コタツにも、…モノにはみんな意識があります。
神社のリサーチやリーディング、ヒーリングなどをするときと同じように、
モノの存在に、意識に、心を向けて、感じて、大切にしていこうと、改めて思いました。
スピリチュアルでは、ワンネスやユニティといったこと、自分と他者はつながっていて本質は一つであるということが言われます。それなのにモノとのつながりにはゾンザイというのは違うよなぁ~と。
モノと言葉で話しができるかどうかは関係なく、本質的なことではなく…
大切に思って丁寧に扱うことこそが、大事だし、本質なのだと思います。
モノを大切にすることで、自然と心が通い合うのだと思います☆
そんなことを思いながら、パンク修理の後、洗車と車内の掃除をした今日のワタクシでした^m^;
車さんは「…」と受け取って静かに喜んでくれながらも、(続けてよね~)(続くといいよね~)とも伝わってくるような感じでした(汗)
いろいろ思うところがあるだろうに、いつも変わらず全力でいてくれて、走ってくれて、ありがとう!
感謝のきもちです^人^
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大滝詠一さんのファンでもありまして、昨年末の訃報以来、大滝詠一祭りを続けております^m^
不思議なことに、訃報を初めて耳にしたときから、悲しみを感じるとともに、もう大滝大天使になって飄々と笑っているのではないかな~という感覚がありました。
そして、昨日開かれたお別れ会のニュースで健康を崩した時から亡くなるまでの流れを読み、やっぱりそうなんだ、大滝さんは何か分かっていたんだなぁ、だから後悔はないんだなぁ…と思いました。
もちろん、人として、残した人たちや過去へのいろいろな思いはあると思いますが、激しい執着や後悔などはなく、穏やかに感謝のきもちで見つめられているのではないかな~、必要な癒しを受け取りながら向こうの世界でもズンズンと進んでいらっしゃるのではないかな~と思います。
↓お別れ会のニュース↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140321-00000046-natalien-musi
最後の言葉が奥さまへの「ママ、ありがとう!」という大声だったと読み、泣けて、泣けて…
脳に異変を感じたその一瞬でその言葉を放ち、届ける、そんなことが人にはできるのですね。
昨年末の大滝さんの訃報がキッカケで、私はどうやって死のうかな…、ということを以前よりも思うようになりました。「死のうかな」といっても、もちろん自殺するという意味ではなく、どんなふうに死にたいか、死を迎えたいか、という意味です。
まだ、両親も健在ですし、使命もすべては果たしておらずすることもありますし、すぐにということではないのですけれども。生きているうちに死について意識しておくことが大切だと、思っているのです^^
勘では、早死にではないけれど、超長生きもしないだろうな~という気がしています。
意識的に死にたいな、と思っています。つまり、死への恐怖でいっぱいになり生への執着や混乱の中で死ぬのではなく、死を観ながら意識的に体験したいと思っています。「あぁ、今自分は死ぬんだな、これが死なんだな…」と分かりながら死にたいといった意味です。今のところこれが一番の望みです。
そして、できればもう転生したくないな~と思っています。こればかりはどうなるか…わからないですけれど。この望みも、先に挙げた望みにかなり迫っているのですが、努力で達成できる確率がより高そうに思える先の望みを今のところ一番に据えています^^
スピリチュアルな広く大きい視点から観れば、死は悪いことではありません。
魂は永遠の存在ですし、肉体が滅びることににも何らマイナスの意味合いはありません。
でも、この世を生きる私たちにとっては、やはり悲しいことではあります。
経験したことがない想像の話しではありますが、意識的に死ぬことができれば、自分の死自体には悲しまずにいられる気がしています。
でも、見送ることが、別れが、悲しい。
魂は永遠ですから、何もかも永遠の別れということはないのですけれど、魂と身体と身体の意識が一緒になった今世の存在としての別れはある。
なんということだろう…と感じ、だからこそ意識的に死にたい…とも感じます。
大滝詠一祭りの一環で、大滝詠一さんにつながる人たちの音楽も振り返り聞いています。
細野晴臣さん、鈴木茂さん、山下達郎さん、大貫妙子さん…それ以外にも大滝さんにつながるたくさんの方々、またそこから間接的にたどることができるさらにたくさんの方々、…そうして見渡していくと、この年代にはたくさんの凄い方々がいらっしゃることに改めて驚き、その塊り方に宇宙の采配を感じます。
この方々が始動した頃の日本にはポップスやロックの市場がほとんどありませんでした。
でも自分の好きな音楽への気持ちと情熱で、自分を信じて、自分自身で道を切り開いていったのです。
素晴らしい音楽を創り出し送り出し人々に伝える使命はもちろんのこと、自分らしく自由に情熱的に生きることを身をもって伝える使命をも、果たされてきたのだと感じます。
彼らは私よりも少し世代が上なのですが、もし彼らの発信する音楽がなければ、彼らの世代~私の世代の人々の心に吹く自由の風は、どれほど少ないものになってしまったことでしょうか。
彼らは、自分自身の人生を生きて個人的な使命を果たすとともに、まるで塊りであるかのように生まれ世に出ることによってグループや世代としての使命も果たし時代を推し進めたのだと感じます。
私の世代は、どんな世代なのだろうな…
自分より若い世代に何を渡せるのかな…
そんなふうに思い巡らせることもまた、意識的に死にたいという思いにつながっていきます。
大滝さんと奥さまに、心からの感謝を申し上げます、本当にありがとうございます。
よろしければ中今のホームページにもどうぞ~^^
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こんにちは^^ 神さまとあなたのご縁をサポートする中今です☆
自分の思いが現実を創る… 「何を思うかが大事」シリーズ。
その4は「時間を経てわかることもある」です。
「あれっ?今のこの状況って… あの時思っていたことがこういう現実になったの!?!」と思うこと、あの思っていたその通りではなくてちょっとズレたようなスライドしたような形で現実になっていること、ありませんか?
私の経験を例にあげてみますね。
大学をどこにするか考えていた頃のことです。
その頃興味があったのは心理学でした。カウンセリングにも興味がありました。
当時は心理学もカウンセリングも全然ポピュラーじゃなかったのですが、なぜだか興味があったのです。
また、当時の「倫理社会」という教科の中でもソクラテスなど古い時代の哲学の話がなぜか面白く、哲学の勉強はどうかな~?と思ったりもしました。
実際には、いろいろな事情や流れで全く違う学部に進んだのですけれど…
また、これは30歳前後の頃だったと思いますが…
西洋占星術を結構熱心に勉強していたことがあります。
単に十二星座に詳しいとかではなくて、ホロスコープを詳しく読むタイプの勉強です。
私にとってホロスコープを読むことは、当たる当たらないの世界の出来事ではなく、世界を新しい視点で見ること、新しい世界観を得ることで、とてもエキサイティングでした。
もし占い師みたいな感じで人の相談に載るような仕事ができたらいいな~と思ったりもしました。
でもこれも実際にはそうはならず…
やがて、そんなふうに思っていたことはスッカリ忘れていました。
そして、今の仕事-神社のリサーチ、カウンセリング、ヒーリングなど-を始めてしばらく経った頃にふと思い出し、気づいたのです。
「あれっ?今のこの状況って… あの時思っていたことがこういう現実になったの!?!」
心理学とか、哲学とか、占い師とか… それって実は、今しているようなことがしたかったんだろうな、と気づいたのです。当時は今しているような仕事があると知りませんでしたから、似たところのある別のものを意識していたんだな、と気づいたのです。
今振り返って思えば、私が望んでいたことは、「人を含む世界の仕組みを知ること」「一人ひとりが自分をみつめること、また自分をみつめることを通じて自分らしく生きることのお手伝い」「そのことを深い意味で”心”という側面からしたい」ということだったのだと思います。また、より具体的には、宇宙の理(ことわり)を見渡しそれに基づいて日本の神さまや神社に関することをしていくこと、という個性もあります。
大学進学を考えていた高校生の頃も、30歳前後の頃も、そんなこと思いもよりませんでした。
当時は、今しているようなスピリチュアルな仕事の存在も知りませんでしたし、ましてこうした仕事が当時と比べものにならないくらい盛んになることも想像もつきませんでしたから。
でも、私の表面的な意識は知らずとも、魂はずっと知っていたわけで…
当時の私は、知らず知らずのうちにその魂の導きを受け取っていたのだと思います。
その受け取った導きを、当時の自分の概念や想像できる範囲内に落とし込み表面の意識に形あるものとして浮かび上がってくるのは、心理学、カウンセリング、哲学、占い師…そんなふうになったのでしょう。
そう気づいたとき、「あぁ~、夢が叶ったんだ!」と思いました。
こんな夢の叶い方もあるんだなぁ…!と思いました。
(もちろん、まだまだこれからでもあるわけですが^^)
具体的な内容は違っても、こうした「思っていたことがちょっとスライドしたような形で現実になること」って、わりとよくあるのではないかな~?と思うのです。人は、まだ経験したことのないことや見たことがないことを具体的に捉えることが苦手ですから、事前に目指しているゴールがはっきりとは分からないこともあると思うのです。
でも、例え目指すゴールの具体像が見えなかったとしても、「なんだか分からないけど興味がわく」「とてもエキサイティングで面白い」「楽しい」という今の思いを大切にしていけば、必ずたどり着けます。それも魂の導きの一つの形なのです。
観方を変えればあのときの夢が叶っているんだ!?ということ… ありませんか?
あなたにとって、昔から変わらず興味があること、面白いこと、楽しいことは… 何ですか?
大切にしていますか?
それはお金を稼ぐ仕事とは限りません。型にはまらず自由に観てみてくださいネ*^^*
※何を思うかが大事シリーズ※
その1 自分は日々何を思っているのか
その2 求めるものが明確なら
その3 昔を思っていたことを振り返ってみれば
よろしければ中今のホームページにもどうぞ~^^
産土神社(うぶすなじんじゃ)などのリサーチ
あなただけの守り神さまに出会える神社を調べます
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